グラタン日記

愚かな民です

19の頃

自動販売機のあたたかなカフェオレが心地よくなる時期に、毎年はじめて飲むそのあたたかさでゆるゆると心も記憶もほどけて辿り着くのは、いつも19歳になったばかりの11月のある日だ。私にはあの時に生まれた、生まれ直したのだという夜がある。

ただただ何も持たず、宙ぶらりんな苦しみだけがある秋の夜に似た涼しい人生の時期だった。

 

19歳、高校を卒業しバイトをしていた。大学には行かなかった。親に扶養されたまま学びたい事などなかった。身分を証明出来るものも周りのような明確な肩書きも、やりたい事も持たなかった。なにより苦しかった学生時代の延長は望まず、その荷がおりたことで突然宙につられたようになった。私は、私の好きなものを知らなかった。

今までは嫌なことを嫌だと思うことさえも悪だと思っていたので、その気持ちを押さえて塗りつぶした、黒っぽい無心で生き長らえることだけを考えていた。そうしているうちに、いつかに好きだったものは何もかも好きではなく、何も思わず、自分は何が好きで何が嫌いかを答えられなくなっていた。

 

まだまだ続く苦しみはあれど、宙につられ風通しが良くなったある日、変わりたいと思った。そして、なにか少しだけでも心が動くような自分の好きなものを探しはじめる。

その日は、バイト終わりに自動販売機でカフェオレを買って飲んだ。じんわりとあたたかかった。こんなあたたかさがあることをはじめて知ったような気持ちになった。好き、かもしれない、と思えて、ほっとした。その夜のカーテンの無い部屋の窓から入る街灯の明るさと同じまぶしくて頼りない感覚が、私にとっては、はじまりとなった。あの時に私は生まれたのだ。

 

それから少し経ち、日々がまわりはじめる。資格を取り就職をした。家も出たし恋愛もした。あの日の夜を忘れることもあったけれど、職場の自動販売機であたたかなカフェオレを買うようになり、毎年ふと、思い出すようになる。

 

でも、今年は違った。あたたかなカフェオレを飲んでも私のはじまりとなったお守りのような夜の記憶や感傷に似た気持ちを思い出すことはなかった。

それはこの1年があの気持ちに似ていてずっと意識していたからだ。同じ道を歩いているような感覚だった。ただあの夜や日々とも違った。風通しが良くて涼しくて悲しくて、快適だった。好きなものは、いくつもあった。本当の意味であの夜を歩き出せた気がした。自分はもう大丈夫なのだと。気持ちは、少し明るかった。