グラタン日記

愚かな民です

明けました

あけおめ ことよろ(声に出したい日本語)
年が明けてからの1ヶ月が瞬く間に過ぎた。


今年の目標
・早寝早起き
・整理整頓
・運動をして野菜を食べる


こんな感じで行こうと思う。なんだか夏休みの目標みたいになったが人生は夏休み。えいおー!

前の日記を書いてからちょこちょこのぞいて下さる方がいてうれしい。前回はそこそこ体重をかけた文章だったので。へへ。
そんなわけでゆるゆるとした日記も増やしていけたらいいかなあ、と思っている。

早寝早起きが苦手だ。朝も限界まで寝ていたい。
ギリギリの時間に起きると嫌だなあとか思う隙を与えないのでサクサクと支度をして家を飛び出せる。そこをなんとか。

1月はほとんど外食やコンビニのご飯を食べなかった。良い傾向。

どうでも良いけど、きんぴらを作った時に乾燥してパラッパラのごまがタレと絡まって具材にひっついた時に、なんだか“やるじゃん”と思った。偉そう。
でも、あんなにパラパラで好き勝手行ってしまうごまたちが素直に具材にくっつくのが面白かった。

やっぱり、やるじゃん、なのである。

19の頃

自動販売機のあたたかなカフェオレが心地よくなる時期に、毎年はじめて飲むそのあたたかさでゆるゆると心も記憶もほどけて辿り着くのは、いつも19歳になったばかりの11月のある日だ。私にはあの時に生まれた、生まれ直したのだという夜がある。

ただただ何も持たず、宙ぶらりんな苦しみだけがある秋の夜に似た涼しい人生の時期だった。

 

19歳、高校を卒業しバイトをしていた。大学には行かなかった。親に扶養されたまま学びたい事などなかった。身分を証明出来るものも周りのような明確な肩書きも、やりたい事も持たなかった。なにより苦しかった学生時代の延長は望まず、その荷がおりたことで突然宙につられたようになった。私は、私の好きなものを知らなかった。

今までは嫌なことを嫌だと思うことさえも悪だと思っていたので、その気持ちを押さえて塗りつぶした、黒っぽい無心で生き長らえることだけを考えていた。そうしているうちに、いつかに好きだったものは何もかも好きではなく、何も思わず、自分は何が好きで何が嫌いかを答えられなくなっていた。

 

まだまだ続く苦しみはあれど、宙につられ風通しが良くなったある日、変わりたいと思った。そして、なにか少しだけでも心が動くような自分の好きなものを探しはじめる。

その日は、バイト終わりに自動販売機でカフェオレを買って飲んだ。じんわりとあたたかかった。こんなあたたかさがあることをはじめて知ったような気持ちになった。好き、かもしれない、と思えて、ほっとした。その夜のカーテンの無い部屋の窓から入る街灯の明るさと同じまぶしくて頼りない感覚が、私にとっては、はじまりとなった。あの時に私は生まれたのだ。

 

それから少し経ち、日々がまわりはじめる。資格を取り就職をした。家も出たし恋愛もした。あの日の夜を忘れることもあったけれど、職場の自動販売機であたたかなカフェオレを買うようになり、毎年ふと、思い出すようになる。

 

でも、今年は違った。あたたかなカフェオレを飲んでも私のはじまりとなったお守りのような夜の記憶や感傷に似た気持ちを思い出すことはなかった。

それはこの1年があの気持ちに似ていてずっと意識していたからだ。同じ道を歩いているような感覚だった。ただあの夜や日々とも違った。風通しが良くて涼しくて悲しくて、快適だった。好きなものは、いくつもあった。本当の意味であの夜を歩き出せた気がした。自分はもう大丈夫なのだと。気持ちは、少し明るかった。

前世犬かもしれない

前世犬かもしれない。お散歩がだいすき。毎週のように、なぜだかお気に入りになっている同じ道を10,000歩以上歩いているのに飽きないし、おそらくまた時間があれば歩くのだろう。たとえ歩き疲れて帰ってまっすぐに立てなくても歩く。駆り立てられる。

 

なぜ歩くのか。

お散歩たのしい〜以外にも注目してみた。人に吠えないためだなと思った。吠えるというのは感情に任せて相手に怒鳴ったり怒りに身を任せること。その捌け口に、ストレス発散に歩いているのだと思う。わあ、だいたい犬といっしょ。

 

なぜその道なのか。

はじめは道のようすが、いやに印象的に思い出されてこの目で見たいなと思う。車通りは多いけど、人通りが少ないのが良いのかもしれない。歩道が広いので開放的。ふらふら歩いても安心。歌っても誰もいない。

ローソンがある!セブンイレブンもある!ファミマもある!人の出入りの少ない薬局もある!地味だけどそろっている道だから良いのかもしれない。ぽつぽつとお店がある。そのどれもが人の出入りがあまりない。かと思いきやぽつんと行列の出来ているお店もある。飽きない。なのにいまや安心感もある。いつもの、みたいな。

 

入るコンビニは日によって少し変わったりもするけど、だいたいは同じコンビニで、言うなればマーキングと同じだ。いろんなコンビニに入る。ローソンは買わなくても入る。買うことがほとんどだけど、とにかく目に入れることが大切。

見かけるけど入ったことのなかったコンビニに入るのもマーキングだ。このコンビニを制覇したぞ、の意味がある。制覇ってなんだろう。

いつも通ってる道にスーパーやコンビニが出来たらとりあえず入って眺める。やっぱり…。

 

毎回ほとんど同じ側の歩道を歩いているけど、たまに趣向を変えて反対側の歩道を歩くことの新鮮味と面白さ、興奮。るんるん歩いた。

飽きないのが怖い。たまに飽きかけるけど歩くとまあまあ楽しい。でもいくら歩いても興味のない道もある。歩くのめんどくさあ〜別にコンビニも入らなくて良いし。この温度差はなんだろう。やっぱり複雑そうにからみあったと見せかけて単に自分が意識していないお気に入りポイントがちりばめられているか、いないかなんだろうなあ。お気に入りの道は、心のよりどころなのかもしれない。

 

知らない道を歩くのもとてもすき。

この道を歩いたぞ!制圧したぞ!と思う。ただただ歩いただけなのに。

 

最近

140文字はすごい。だいたいのことが収まるしサクサク読める。なので日記を書く必要がない。日記、というか長文はテンポが悪い。どうしても、間のびしているように感じる。ビートを刻め。という日記放置者の戯言。

 

①髪の毛

突然、居ても立っても居られない、何もかも分からない、ただただ今すぐに髪を切りたくなったので週末さっそく予約を入れて指折り数えて待っている。切りたくなったら止められない。今すぐにでもハサミで切ってしまいたいのを抑える毎日だ。こんなに衝動的に髪を切りたくなることもめずらしいし本当はもう少し長い髪を満喫する予定だったがビートに乗って生きるしかない我々は切るしかないのである。

 

②パン屋のパン

調べたらチェーン店らしいがパン屋のパンはおいしい。お気に入りはガーリック味のパン生地の真ん中にクリームチーズの入っているもので、文字を見ただけで唾液腺がやられる。名前は忘れた。3日連続で買っていた。また食べたい。他のパン屋も気になるが私の中の基準の分からない行きやすさ行きにくさによって行く場所が決められている。

 

③写真

先日とても久しぶりに何かで使う用の写真を頼まれ撮っていただいた。決まってからは毎日顔のトレーニングをし暴飲暴食をしてストレスを発散させたい夜もグッと我慢したりしなかったりしたが無事に終えられて良かったしどんな写真なのか気になっている。撮ってくださった方がとにかく褒めてくれる人でたのしく出来た。たのしみ。

 

あと何か思い付いたことがあったような気がしたが忘れたのでこれにて。忘れてたの思い出したら日記を書く口実になるかもしれないので。

元気にたのしくやっております。じゃあね。

文字をなぞる

 

本を読んでいる時、たまに、ああこの文は良いなあと思いむずむずとした気持ちになる。

ほっておけなくて次の文が頭に入らなくて、その気持ちをどうにかしたくて、文字を指です〜っとなぞることがあるなあ、と自覚した。

一度で気持ちが済まなければ二度、なぞる。

自分の中に取り込もうとしているのかなんなのか。あまりよくは分からない。

たまに古本で文にマーカーが引いてある本を見かけることがある。買う気にはならないけど、その気持ちはこの気持ちと同じなのかなと思う。

 

いつから文字をなぞるようになったのか。

記憶をたどっていくと、昔々好きだった男の子の名前だった。その字面が好きだった。携帯の画面をそっとなぞった時のことを思い出した。愛おしいなあと思うとき、指でなぞるようだった。

新入社員を励ましたい

新しい社会人を励ましたいので、先輩風を吹かすことをどうか許してほしい。

 

入社してそろそろ1年が経とうとする頃、だいたいの仕事の流れを掴んできて、仕事は出来なくちゃいけないものだと錯覚するようになる。しかし自分の能力が追いつかず、なぜ自分はこんなにも出来ないのかと悩むことも多いかと思う。

かくいう私も入社して数ヶ月経った頃うまく出来なくてよく悔しくて泣いていた気がする。それは無駄ではない。ちゃんと向き合おうとしている証拠だから素晴らしいことだと思う。

 

ただ、あまり落ち込まないで良いんだよ、と先輩は思う。完全に開き直って覚える気力も感じられないのは大変困るけど、一生懸命に取り組んでいる様子は伝わっているはずだ。

 

失敗は常につきものだと思う。

ベースになっている流れや、最悪の事態がどういうことなのかは心に刻んで欲しいけど、入社して数年は怒られながらも主に失敗をどう修正するかを学ぶ時期であるし、逆に失敗のオンパレードが許されるボーナスタイムだと思うのでたくさん失敗して、失敗したらどうすれば良いのかをたくさん学んで欲しい。新人の可愛いミスくらい補えての先輩っしょ。

そのうちに怒っていた人のサポートも出来るようになって、頼られていくものだと思うし、この場合はこうする、というのが分かっているのは何よりも頼もしい。怒られたら誠心誠意謝って、反省はして、次に活かせるようにメモでも貼って、それだけ覚えて怒られた悲しみは忘れちゃお。

 

そして、なぜ最悪の事態がなんなのかを心に刻むかと言うと、それさえ避ければどうにかなる場合が多いからだ。

小さいミスは多いけど大きなミスは不思議としないよね。わざと選んでミスしてる?なんて聞かれたこともあるけれど、とりあえず挽回出来ればこちらのもの。失敗なんて無かった。

 

さらに、失敗の元になりそうな“違和感”にも気づきやすくなる。違和感を感じたらぜひ大事になる前に忙しそうでも先輩に声をかけて欲しい。短気な人は怒ってくるかも知れないが、今は失敗ボーナスタイム。

肉を切らせて骨を断つ。小さな怒られで済ませて大きな怒られを防ぐのも戦法のひとつ。理不尽な相手にも怒られ慣れてくると方法として使うこともある。

 

私は仕事に関してだけは立ち直りが早い気がする。それは始めからそうだった訳ではない。

入りたては常に怯えていたし、電話を取る時は手が震えていた。でも、やらなきゃ仕事にならないのならば、腹をくくるしかない。

 

誤解も理不尽もたくさんあって、怒られて、鋼の心かも〜と思ってもまたやられて、その繰り返し。でもその方がなんか生きてるって感じがするし一生懸命やっている気になる。怒ってくる側の精神論は嫌いだけど、受け止め方次第で心が少しでも軽くなるのなら。

生きているとだいたい苦しい。自分が必要とされていないんじゃないかとか、自分は駄目な人間なんだとか、一度思ってしまって溝に落ちていくと立ち上がるのにしばらくかかる。

 

あいさつは大きな声で、ごめんなさいとありがとうは意識して、指摘されたら逆ギレはしないで、自分の任されていることを粛々とやって、終わり。

それ以上の人格否定だとか、悲しいことを言われたらそれはもう業務外。知らんがな。適当に謝って適当に笑って受理はしない。より良い働きはしたいし、認められたいし、頑張りたい。でも追いつけないならまだ伸びしろってだけ。人には人のペースがあるし“使える”って言葉は単にその人にとって“都合が良い”と言うだけでたいていはテレパシーレベルのわがままな要求だったりする。

 

それでも苦しくなったら、自分はお金のためだけに働いているんだ、と思う。そこには人間関係も何もかも関係がない。ただ行ってなんかやって帰ってくることだけを繰り返し、給料日という目標のみを見つめる。そのお金で何をしよう、何を買おう。物質を得るための仕事なのだから奮発してしまおう。それだけを考えた。

 

働いていると、よくもまあいろんなことが起きる。こんなに先輩風を吹かせている私でも、例えば転職をしたり、何かがあってまた一から働かなくてはいけなくなる時もあるかもしれない。持論も環境によってだから、今までの価値観が一切効かなくなってしまうかもしれない。

 

そしたら。まあどうにかなるって!と、今度は励まして欲しい。どこかの壁の落書き程度に、なんとなく誰かの心が軽くなることを祈って。

あけおめ〜

みなさん、日記ってご存知ですか?

 

私は書けたことがないのでわかりません!

あはは!酔ってません。ホームランバーを2本打った(食べた)だけです。チョコとバニラ。

 

実は少し前に新年あけおめみたいなのを書こうとしたけどどんどん深い思考の森に迷い込んでろくなこと書いてないなと思って全部消した。

思考の森はまどろっこしい。終わりが見えたらまた書こう。とりあえず ことよろ。

 

今年の目標はいろいろあるけどひとことで言えば身綺麗にしよう、に尽きると思う。

家も、身なりも、人も、心も、さっぱりとしていたい。どこに行くわけでも無いし普段より人にも会わず遠出もしにくいけど、すぐにふらっとどこかへ行けそうな気持ちでいたい。

身軽さに憧れる。

 

最近は落ち込むことがだいぶ減った。

落ち込むことが無くなったわけではないけど、心持ちというか、上げ方が分かってきたように思う。

原因が減ったのはあれど、落ち込んだ時の人との距離感だとか、物事の捉え方だとか。いいぞ、生きやすくなってきたぞ。自分の中だけの話なので、対外的な問題や、まだまだ自分の課題は多いけど、年々と素敵な人間になっていきたい。